皆さま、こんにちは。
えっと、今日から、東京は9月ですね。

おそらく、日本全国、多くのところでは、すでに9月になってから数日が経過していると思われます。

気の早いところでは、9月7日かもしれません。
のんびりとしたところでも、9月7日かもしれません。

前回、
「大きな字を乱発したわりに、結局そんなとこに落ち着くのね、ふ~ん的な記事」
「なんだい、6ケ月じゃないのかい!あ~あ的な記事」

つまり、「タイトル倒れ」
となりましたことを、ちょっぴり反省しております
(ちょっぴりだけかい!)。

タイトルがタイトルでしたので、しばらく長々と出させていただいたのですが、既に賞味期限切れ、とあいなりまして、「次を」、ということでございます。

連日、帰宅が21時過ぎになりまして、若干時間がなかったのですね。
その原因の一つが、こちらです。


商店街風景 その1


商店街風景 その2 少し時間が遅くなりました。 


とある商店の店先

ここは、江東区北砂、通称「砂町銀座」商店街です。

都内でも屈指の人気商店街です。
約1キロにわたって、びっしりと、ほんとにびっしりと商店が並んでいます。

砂町的にはど真ん中の北砂町にあるのですが、
明治通り沿いの、南砂町駅(東西線)と西大島駅(都営新宿線)の中間、南砂町よりの位置にあります。



仕事が近くでありましたので、連日、こちらで「商店街ぶらぶら歩き」&惣菜お買い物をして、3キロ弱の亀戸駅まで歩きまして(約30分)、亀戸⇒西新井(約30分)と帰っていたのですね。

商店街好きな方には、どうしても外せない商店街の一つですね。 


☆☆
都内で、商店がびっしりとの商店街というのは、それなりにあるのですが、

繁華街のような、いややっぱり商店街のようなところ、といいますと、

こちらですね。


言わずと知れた 上野 アメ横商店街

バッタモンはアメ横で、
東京に来たなら、とにかく行ってみろ、覗いてみろ、
と言われる商店街ですね。

場所は、上野駅スグ。

アメ横でお買い物をして、ひょいと道を渡りますと、別世界の風景もありますね。


もうすぐ咲きますね。


はす天国の 上野しのばずの池 です。

育ちすぎ!!間近でみると、すっごくデカイはすの大群です。

正面の青い屋根は「弁天堂」。
右側の白い建物は、上野精養軒と思います。
緑部分は、上野の森ですね。


☆☆
えっと、これは、旅日記でしたっけ?

ここで、
話を、前回のブログ記事に少し戻してみたいと思います。

コメントをいただいたなかで、tabby さん(ブログ:step by step)の「なんでも、いっぱしになるまで1万時間」説が興味深いものでした。
他に思い当たる適例もありませんでしたので、とりあえず、自分自身の過去に当てはめてみました。

☆知的所有権に関する法律と「1万時間」☆

当方の昔の学習時間ですが、
大学の2年~4年の3年間において、3年×1日10時間×350日=3500×3=10500時間。
(これは実際現実に遂行した時間です。)

大学1年時に1日3時間×200日=600時間
(1年次は麻雀ばかりしてけっこう遊んでいたので、推定です)。

就職後、3年間×週平均25時間×52週=3×1300=3900時間。
会社を辞めて、半年間×1日10時間=1800時間。

都合、弁理士試験(知的所有権の専門職国家資格)に受かるまでに、
10500+600+3900+1800=約16800時間。

確かに、これだけの学習時間&研究時間を費やしました結果、それなりのものになった気がします。

大学2年~4年で費やした「時間」が、一般の方には、「長すぎる」ように思えるかもしれませんが、
当時所属していました研究室(図書館の自習室のような部屋)は、
朝8時前に登校入室し、
夜10時に下校退室で、
食事時以外はみだりに外出してはならずというところで、
かつ家でも学習していましたから、1日平均10時間は、最低の見積りです。

もちろん、大学の講義には、ゼミ(これも知的所有権法のゼミですが、当方一応ゼミ長なので、出ないわけにはいきません)以外はほとんど出席していません。
しかし、大学での講義内容の法律科目は全て自分で学習しており、大したテストではなかったので(日大法)、2年次以降の履修法律科目は、「全優」でした。

もっとも、ですね、
ハタから見れば、ただず~と、「ボ~と」本を読んでいるだけに見えたと思いますので
(もちろん、ただ、ひたすら本を読んでいたのです!ほんのちょっと考えましたが)、
勉強・学習というよりは「法律本の読書」をしていたといった方があたっているかもしれません。

ただですね、一応のものにはなりましたが、
専門の部門としては、まだまだ端緒についたばかり、
というのが、実際の当時の感想です。

どの道でもそうですが、専門職としては、
1万時間というのは、その専門職の「スタート位置につけるのに必要な時間」、というところでしょうか。

あとは、はてしなく時間が必要といいますか、人生いっぱいの時間が必要ですね。


☆☆
ひるがえって、
英語は、どのくらいの期間、時間、勉強すればいいのか?

英語は3ケ月で身につけられる⇒ウソです。


3ケ月で英語ペラペラ⇒まやかしです。


半年で英語をマスター⇒ほんのサワリしかマスターできません。


1万時間といいますと、かなり気の遠くなる数値ですが、
普通の方は英語の専門職になるわけではないので、

少なくとも2000時間程度 というのが、前回も書きましたが、当方の直感です。
それなりの時間をかけませんと、ある程度のラインにはいかないと思います。

この「ある程度のライン」と言いますは、分野ごとに全然違うのですが、どの分野でもポイントになってきます。
一度このラインを越えませんと、大きく伸びないのですね。
逆に、このラインをいったん越えますと、そこからは大きく下がりません。

当方は、このラインを、かってに、「上達待合室」と呼んでいます。
この待合室に入れるか否か、そこが問題です。
待合室に入れれば、そのあと、継続して実行することを条件に、飛躍的な向上が待ち受けています。

☆☆
でも、けっこうそこまでが、長くかかるのですね。
英語以外でも、

例えば(当方の趣味の分野でしかお話できませんが)、


囲碁
ですと、初めてからアマ初段になるまでに、少なくとも「5年」は必要と思います。
子供だと早いですが、大人では、かなり本腰を入れても、そのぐらいはかかります。
アマ初段ぐらいまでいきますと、けっこう自在に、囲碁が打てます。

しかし、このアマ初段は、実は、上達待合室にまだ入っていないのです。
待合室前の廊下・広場にたどり着いたところですが、部屋には鍵がかかっています。

アマ6段に至る上達待合室に入るには、この鍵を開けることが必要で、アマ初段の時点から早くて3年、遅ければ10年以上の時間が必要です。
しかも、時間をかければ鍵が見つかる、入れるというものではないのです。
運良く若しくはきっかけがあって鍵がみつかりますと、そのあとは、5年ほどの時間をかければ四段近くまでステップアップします。

しかし、ですね。
かかしは、scarecrow.

そこに、第二の重い扉が待っているのです。
これが、なかなか開かない。開かないのです。時間をかけてもウンともスンとも開きません。
この鍵が運良くみつかり、扉が開きますと、さらに5年ほどで六段になると思われます。

としますと、
アマ初段までに5年、鍵が開いて四段までに5年、さらに鍵が開いて六段までに5年。
非常に順調にいって、15年。
成人してから囲碁を覚えた場合、これが、普通の方のアマ六段(囲碁のうまい人)への道のりだと思います。

ただ、子供のうちにある程度やっておきますと、上達待合室の鍵の見つかり方が若干違います。
不思議と、見つかるんですね、鍵が。
当方は、小学生で囲碁を覚え、小学6年時に、弱いアマ初段程度でした。
その後、ず~とブランクがあり全く碁をやらず、30才すぎに再開。
熱中したこともあり、1年半でアマ四段へ、そして再開後5年でアマ六段へ。
成人してからは、正味5年で、アマ初段~アマ六段(と思います)になりました。

これは子供の頃にある程度やっていた恩恵にほかなりません。
一般の方では、先に上げました15年という年数が、幸運な方の数字だと思います。


☆☆
皆さんのご趣味などの分野では、ご自分のご体験からくる「時間」があると思います。

どの分野でも、上達待合室へ至るステップは、人によって様々で、その前にはたどり着けるのですが、鍵が開くか開かないかは、「その人次第」です。


☆☆
で、ですね。

なぜかですね、このところ、1週間とかが、あっという間に過ぎてしまうのですね。
毎日見ているはずの、他の方のブログも、
あれっと思いますと、見たことのない記事で埋まっています。

きょうが9月の初めのはずなのに、
すでに9月の7日だというのが、当方の実感なのですね。

だいたい、これは、みるブログが多すぎるのが原因なのですが、当方のスローモーさにも、原因の一端はあります。

当方、ブログで、

「きょうも、1日、ボ~ としましょう」とか、
「半分ボーで過ごしましょう」とかを、

頻繁に、皆様に、おすすめしているわけですね。

「ボ~と大使」「ボ~としよう推進委員長」的な言動なわけです。


自分自身、基本、ボー としているのです。
注意力が散漫というのではなく、「全力でボー」としているのですね。

「全力でボー」
「いつでもどこでもボー」

たとえば、本などを読んでおりますと、2時間ぐらいはいつのまにか過ぎますが、
その間、まわりから見れば、

「本を開いたまま、時々ページをぺくるような動作をし、あとはボ-と本を眺めている」というように映るらしいのです。
本を読んでいる間、まわりに何が起こっても、よほどのことがなければ気づきません。

信号待ちなどでも、
たいがい、ボーと立っていますから、
信号が2度ほど変わり、3度めにアオになってから渡る、という場合も、よくあるのです。

えっとですね、ながくなりますので、
ボー 話は、このへんでやめたいと思います。


さて、とりとめのない話をしていて、自分でもなんだなか、と思うのですが、
すでに3日から、おおかたの学校が始まりました。

きょうが本当に9月の7日だとすると、ですね。

十分に遊んだ子も、あまり自由に遊べなかった子も、また一緒の教室に集います。
夏休みの思い出を胸に、新たな学校生活が始まるわけですね。

子供たちではないので、事情が違う部分はありますが、
夏休み明けでしばらくぶりに見る学生たちの顔は、わりと活き活きとして見えるんですね。
あらたな予感といいますか、期待に満ちた顔といいますか、ですね。

秋の飛躍を感じさせる顔ですね。

子供たちも、もう少し大きい学生さんたちも、無事に新学期のスタートがきれますよう、毎年、なぜか願ってしまうのですね。

9月、新学期がはじまりました。

西新井ブログも、新たなスタートをきらなければなりません。

たとえ、「終日ボ~」としていても、ですね。

では また。


西新井sunny-side up の近況

ふっと気づきますと、いつのまにか4~5日が経ってしまい、びっくりするわけですね。
他の方のブログへなかなか行かないうちに、日にちだけが過ぎていきます。
生徒もいないのに、なぜか身辺慌ただしく、忙しいのですね。

9月、新学期のスタートなのですが、sunny-side up の新学期は始まりません。
多読に新学期がない、という性質自体のものではなく、生徒がいないからですね。
いか~ん!
では。